守り伝える蝋形鋳造による象嵌七宝
明治42年、和銅寛は輸出向け七宝銅器の製造所として創業しました。七宝の技法には象嵌七宝と有線七宝に大別されます。釉を区画する境界線を鋳造で作るのが象嵌七宝で、一方の有線七宝は銀線を溶着します。現代の殆どの七宝作品は有線技法によるもので、現在でも象嵌七宝を作り続けているのは和銅寛のみのようです。
「泥」または「本」をつけている七宝はガラス釉が明治時代以前の不透明な釉薬を使用していることを表します。現在の鮮やかな透明釉は明治時代になってからで、ドイツ人のワグネル博士が開発されました。